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03 総合診療という領域/JAPANHUNGARY

総合診療医を目指す理由——構造を辿ること、そばにいること

医師のいない家庭に生まれ、なぜ自分が医師を、それも総合診療医を志すようになったのか。幼少期の記憶、中高時代のある行動パターン、医学部受験の面接で初めて向き合った問い、そしてハンガリーでの医療現場との出会いから、その道のりを辿る。

公開2026-08-16
出典1 SOURCES

ダイジェスト解説 VIDEO

物心つく前から、私は医者になりたいと言っていたらしい。幼稚園の頃の話で、当時何を考えていたのか、今となっては本人にも分からない。家系に医師はいない。母方は家族経営の小さな建築会社、父は典型的な会社員だった。それでも、自分の中に医者や科学者への漠然とした憧れがあることに、物心がつく頃から気づいていた。

後付けの解釈に過ぎないかもしれないが、今思えば、複雑で自分には理解しきれない何かが、苦しみという原始的な問題を癒す力を持っている——その構図が、単純に魅力的に映っていたのだと思う。人が苦しむ姿を見るのが、昔から極端に苦手だった。子供の頃は赤の他人が泣いているだけで、つられて自分も泣いていたし、今でも困っている人を見ると、うまく立ち回れないなりに、つい付き添いたくなってしまう。

同時に、複雑で、それでいて本質的な物事が好きだった。ただし、昆虫図鑑や恐竜図鑑を丸暗記するタイプではなかった。興味があったのは、生物に共通する構造だったり、異なる構造を持つ生物同士の分類だったりする。一時期は宇宙や元素、素粒子に夢中になり、小学4年生の頃には元素記号をほとんど言えるようになっていた。児童向けの本では物足りず、祖母に頼んで高校生向けの参考書を買ってもらい、理解できるページだけを切り抜いてノートに貼り付け、自分なりに読み解こうとしていた記憶がある。

一人でいる時間が多い子供だった。友人の数は多くなかったが、恵まれてはいた。進学した中高一貫校では、成績はふるわなかったが、授業はすべて好きだった。世界史は人類が紡いできた記録を辿ることで世界のルーツに触れる作業であり、古典は祖先の思想や感情に当時の言葉のまま触れられる稀有な機会であり、数学は公理という新たな世界線を打ち立て、そこから定理を導き出す作業だった。なぜ周りの人が勉強を嫌うのか、成績が悪いなりに、正直よく分からなかった。

大人に近づくにつれ、勉強だけでは足りないことにも気づき始めた。自分は元来、人付き合いが得意ではない。一人でいる時間こそが本来の自分のように感じ、人前では常にどこか緊張していた。それでも不思議と、人からは好かれていたように思う。しかも、様々なタイプの人と、それぞれ仲良くなっていた——ただし全員と同時にではなく、一人ずつ順番にだった。振り返ると、その相手はいつも、何かに困っている人だった。クラスでいじめられている子、勉強がうまくいっていない子、家族とうまくいっていない子。そういう時、私はその人の話を聞き、しばらくの間、そばにいた。そして多くの場合、問題が解決する頃には、その人はもともと所属していた集団——部活のような——に、何事もなかったかのように溶け込んでいた。

なぜ医者になりたいのか

大学受験の医学部面接で、私は初めて「なぜ医者になりたいのか」を本気で考えることになった。それまで一度も、自分に問うたことがなかった。答えを探るうちに、物事の大元を辿ることで、他の人が苦しまずに済むようにしたいのだと気づいた。同時に、苦しみを取り除くことより、そもそも苦しまずに済む方法を考えたいのだとも思った。個別の病原菌や疾患そのものを研究する道も考えたが、それはどうしても一つひとつの事柄に焦点が絞られていくように感じ、選ばなかった。

ちょうどその頃、地域医療政策の文脈でも予防が前面に押し出されていた。2014年の医療介護総合確保推進法を経て全国で構築が進められた地域包括ケアシステムは、厚生労働省自身が「医療・介護・予防・住まい・生活支援」を一体的に提供する体制と定義しており、予防はその中核をなす五本柱の一つとして位置づけられていた1。コミュニティを巻き込んで疾患を予防することこそが医療費削減の最善策だ、という論調に触れた記憶があり(この因果関係自体は、後年の医療経済学者たちの間で異論も出ることになるのだが)、もっと詳しく知りたい、その現場の近くで活動したいと感じた。

第一志望は、地元・栃木の実家に近い、地域医療を専門とする自治医科大学だった。合格には一歩届かなかった。浪人を考えていた矢先、たまたまハンガリーの医科大学の存在を知った。あまり深く考えず受験し、合格し、まったく未知の世界に飛び込んでみることにした。

ハンガリーで見たもの

入学してからは驚きの連続だった。まず、英語の文献の豊かさに圧倒された。それまで日本語の書籍・文献しか読んでこなかった身には、量だけでなく、その管理のされ方——日本にありがちな読みにくいPDFではなく、テキストベースでID管理された形——にも驚かされた。この違いに早い段階で気づけたことは、今思えば大きかった。

病院実習で目にしたハンガリーの病院の様子も、日本とはまるで違っていた。良し悪しは別として、医師も看護師もスタッフも、総じてゆっくり仕事をする。国内最大級の大学病院でさえそうだった。同じ「医療」という仕事のはずなのに、なぜここまで様子が違うのか。働き方や制度の違いが、ここまで大きな差を生むのか——そう考えたことが、今、自分が医療制度そのものに関心を向けている、直接の原点になっている。

三つの軸

振り返ってみると、自分の中には最初から一貫した二つの軸があったのだと思う。一つは、個別の症例や病原体ではなく、その大元にある構造——生物の分類であれ、元素の周期表であれ——を辿りたいという性分。もう一つは、困っている一人の人に付き添い、その人がやがてもといたコミュニティに何事もなく戻っていく様子を、そばで見届けたいという性分。医学部受験の面接で「なぜ医者になりたいのか」を初めて言語化した時、私が辿り着いたのは、個別の疾患を治すことではなく、人が苦しまずに済む仕組みそのものに関心があるという答えだった。地域を巻き込んだ予防医学への関心も、この延長線上にあった。

そしてハンガリーでの経験は、この二つの軸に、三つ目の軸を付け加えた。同じ「医療」という営みが、制度や働き方の違いだけでこれほど姿を変えるという発見は、個々の医師の技量や熱意以前に、その医師たちが置かれている仕組みそのものを見なければ、医療の本当の姿は理解できないという確信につながった。

総合診療医という選択は、この三つが交わる場所にあった。総合診療は、臓器や疾患ではなく、患者という一人の人間全体、そしてその人が生きる地域という構造を診る。地域医療は、個別の患者を治療するだけでなく、コミュニティ全体の予防・支援体制という仕組みを設計する営みでもある。そして医療制度そのものへの関心は、まさにその設計を左右する、最も大元にある変数への関心だった。当時の自分にとって、地域医療と医療制度は、この国の医療が向かおうとしている最先端の場所に見えた。今、こうして制度そのものを検証する記事を書き続けているのも、あの頃芽生えた三つの軸が、今もそのまま延長線上にあるからなのだと思う。

出典 SOURCES

  1. 1地域包括ケアシステム厚生労働省 · 2014 · accessed 2026-08-16裏付けた主張: 2014年の医療介護総合確保推進法を経て全国で構築が進められた地域包括ケアシステムを、「医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される体制」と定義しており、予防はその中核をなす五本柱の一つとして位置づけられている

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