前回までに、穢れと疫病神を、場所・姿・求めた行動で確かめた。
今回は昔話である。私の最初の印象は、こうだった。昔話には、教訓が裏に含まれていることが多い。それは、危険や不利益を避けるために、語り手が込めたものではないか。
検証する前提を、一文に直す。昔話の教訓は、危険を避けるために、語り手が最初から込めたものだ。
この前提には、二つの主張が重なっている。昔話は教訓を持っている(存在の主張)。その教訓は、語り手が込めた(由来の主張)。確かめるのは、後者である。教訓がどこで付いたのかを、定義・再話・編集・残り方の順に見る。
史料の整理
昔話とは、何を指すのか
まず、民俗学が「昔話」と呼ぶものを確かめる。関敬吾は、昔話を、伝説・世間話とともに民間で行われる口承文芸の一類とし、その特徴を形式に置く。「むかしむかし」などの冒頭句で語り始め、「どっとはらい」などの特定の結句を持つ。伝説や世間話と著しく異なるのは、冒頭と結びの相対応する語句によって、物語の開始と終結を告げる、この構えによる1。
定義は形式であり、教訓ではない。
次に、機能である。小澤俊夫は、百科事典の「昔話の構造と機能」の節で、昔話に必要なのは「せまい道徳的教訓性」よりも「ひろい人間的教育性」だと書く。続けて、こう述べる2。
もし前者のみであったなら、昔話がこれほど長期間、人類諸民族のなかで語りつがれ、広がってくることは不可能であっただろう。そこで、昔話の機能として娯楽性も見落とすことはできない。
昔話を道徳的教訓話に閉じこめることは、昔話の生命力をそぐことになる。また、第2次大戦中、日本で行われていたように、時の政治思想によって色づけすることも同じ結果を招くことになる。
ここで確かめられるのは、研究者の側が、昔話を「教訓話」と見ることを警戒していたことである。ただしこの記述は、規範的な言い方を含む。「教訓が少ない」と実証したものではない。
分類も見ておく。関敬吾の分類(『日本昔話大成』)は、動物昔話、本格昔話、笑話の三つである。動物昔話には〈猿蟹合戦〉〈勝々山〉、本格昔話には〈隣の爺〉、笑話には〈愚人譚〉〈巧智譚〉〈狡猾者譚〉が入る1。分類の軸は筋の型である。教訓の有無で分けてはいない。
教訓は、どこで付いたのか(日本)
私たちが「教訓つき」で知っている昔話の多くは、近代の再話を通っている。
巌谷小波『日本昔噺』(博文館、1894〜96年、全24編)は、「桃太郎」「猿蟹合戦」「花咲爺」などを集成した、近代日本初の本格的な再話集である。増井真琴は、この叢書に貫流する規範を三つ抽出している3。
| 規範 | 増井の整理 |
|---|---|
| 勧善懲悪 | 「善は栄え、悪は滅びるという単純明快な原理」。悪玉は、善玉によって打倒・粉砕されるのが常 |
| 立身出世 | 久米依子の指摘として、10編で勤勉や才能の価値が「元の原典以上に強調され」、運や偶然の要素は捨象されがち |
| ナショナリズム | 桃太郎は「天つ神の御使、大日本の桃太郎将軍」で、「皇国の安寧を計る」ために鬼が島へ向かう |
増井は、結論として、これらの規範は「明治の近代日本が国民に求めた規範・道義心」であり、小波はこの国民道徳を再話を通して児童に宣布し、「国家有為の人材を作ろうとしていた」と書く3。
同じ論文には、重要な留保がある。「もちろん、勧善懲悪は、典拠となった古典にももともと内包されている要素だが、小波がこれを積極的に踏襲・強調している」3。教訓が、近代に丸ごと付け加わったのではない。原典にあったものを、再話が選んで強めた。
しかも増井は、教訓と笑いが同居していたことを強調する。叢書は、洒落・講談調・擬人画の遊戯で、説教臭さから救われていた。「道徳的・政治的な教訓性と馬鹿馬鹿しい笑いが、混然一体となって同居していた」3。
かちかち山の小波版は、婆さんを婆汁にして爺さんに喰わせた古狸が、爺さんに同情した白兎に、櫂で撲殺される。悪を徹底して悪く造形し、その悪が打ちのめされる痛快さを、増井は「娯楽性・大衆性の源」と読む3。
桃太郎のその後は、教科書である。戦時中、桃太郎が学校読本で国家主義的な宣伝の主要な部分として使われた、とアントニは論じている4。論文は要旨でしか確認できていない。
教訓は、どこで付いたのか(グリム)
欧州でも、同じ過程が見える。
グリム兄弟は、1819年の序文で、収集を「本来の教育書(ein eigentliches Erziehungsbuch)」にしようとしたと書いている、とプレッツルは引く5。
版ごとの数を、レルケは次のように整理する。1812年に86話、1815年に72話、1819年に170話、最終の1857年版は201話と十の児童伝説。約30話が版を重ねる間に除かれた6。
ザモンズは、ジップスによる初版(1812・1815年)の英訳の書評で、こう書く7。
The changes in tone were accommodations to the perceived sensibilities of the readership, tending to more finished form and sometimes, though not always, happier endings.
(調子の変化は、読者の感性と見なされたものへの配慮であり、より整った形へ、そして、常にではないが時に、より幸せな結末へ向かった。)
同じ書評は、初版の水準を、欺瞞・暴力・性的虐待・道徳的無関心・血に飢えた復讐が「顕著」だと述べ、「白雪姫」と「ヘンゼルとグレーテル」で、グリムが悪い母を継母に書き換えたことにも触れている7。
グリム自身が、教育書にするつもりで手を入れていた。ただしこの節は、書評と事典項目と論文の抜粋に拠っており、各版の本文を照合したものではない。
教訓的でない話は、どれだけあるのか
教訓的でない昔話の割合を数えた研究は、探した範囲では確認できなかった。確認できたのは、分類の枠組みの側である。
型の数と、語られた量は別である。「教訓的でない話は多い」と言うには、数えた研究が要る。
残った理由は、何が検証されているか
教訓が後から付いたのだとしても、昔話は語り継がれた。何が選ばれたのか。実証的に検証された例を並べる。
| 研究 | 対象 | 結果 | 限界 |
|---|---|---|---|
| Norenzayan ら 2006 | グリム200話から、成功した21話と成功しなかった21話 | 最小反直観(直観に反する要素が少数)の構造を持つ話が、成功しやすい | 成功の指標は検索ヒット数。標本は西洋のみ8 |
| Tehrani 2013 | ATU 333「赤ずきん」と ATU 123 の58異本、33集団 | 二つは別の国際型として識別できる | 系譜の研究で、内容の適応性は検証していない。生存関連情報は、そう「見える」と述べるにとどまる9 |
| Stubbersfield ら 2015 | 都市伝説を用いた伝達の実験(60名と30名) | 生存情報型は対照より正確に想起されたが、社会情報型・複合型のほうがさらに正確だった。選択・伝達の段階では、型による差はなかった | 都市伝説であり、昔話ではない10 |
| Smith ら 2017 | アグタ(フィリピンの狩猟採集民)の物語 | 協力・性の平等・平等主義といった、行動の調整にかかわるメッセージを伝える | 狩猟採集社会の物語で、日本の昔話ではない11 |
どれも、危険情報が特別に優先されて残ったことを示していない。示されているのは、記憶しやすい構造と、社会的な情報の選ばれやすさ、行動の調整である。
病や危険を扱う昔話は
最後に、第1回・第2回の題材とのつながりである。病気・毒・食物の禁忌・危険な場所を扱う昔話で、それが衛生や危機管理として機能したことを論じる研究は、今回の範囲では確認できなかった。
関の定義では、昔話は時間・場所・人物が特定されない形式を持つ。特定の場所や人物に結びつくのは伝説である1。第2回で見た水辺の河童の語りは、地名と集落に結びついており、定義上は伝説・世間話の側に寄る。これは定義からの私の推論であり、各資料の分類を確認したものではない。
私見・考察
前提は、どこまで成り立ったか
「昔話の教訓は、危険を避けるために、語り手が最初から込めたものだ」を、四つの点で試した結果は次のとおりである。
| 点 | 結果 |
|---|---|
| 定義 | 形式(冒頭句と結句)であり、教訓ではない |
| 教訓の由来 | 原典に勧善懲悪はあったが、近代の再話と教科書が強め、方向付けた。グリムは教育書にする意図で、版ごとに手を入れた |
| 教訓的でない話 | 笑話・動物昔話・暴力の痛快さが、分類にも再話にも含まれる。割合は数えられていない |
| 残った理由 | 記憶しやすさ、社会情報、行動の調整が検証されている。危険情報の優先は示されていない |
教訓は、語り手が最初から込めたというより、編者と教育が付け、強めたものである可能性が高い。ただし「付いた」と言い切れるのは、小波とグリムという、記録の残る二つの再話についてである。口承の昔話そのものが、語られている間にどんな教訓を持っていたのかは、この回の材料では確かめられない。
「生存者バイアス」の四つの区別に当てる
| 名前 | 今回の場合 |
|---|---|
| 生存者バイアス(標本の偏り) | 私たちが「昔話」として知っているのは、再話集・教科書・事典に残ったものである。小波とグリムの版は、記録が残るから論じられる。この意味での偏りは、実際に確かめられる |
| 確証バイアス | 教訓が目立つ話(桃太郎、舌切り雀)を思い浮かべると、教訓の多さが過大に見える。笑話や愚人譚は、思い出しにくい |
| 事後的な機能の読み込み | 現在の「教訓つき」の形を、語りの起源に遡らせて読むこと。再話・編集の過程を見ると、起源の形と今の形が違う |
| 文化的な選択 | 選択は確かめられているが、選ばれたのは記憶しやすい構造であり、危険情報の有用性ではない |
医療との接続として
この回は、三つの回のうち、医療との接続が最も薄い。昔話の中に、病や衛生を扱った例で機能を論じたものは、確認できなかった。
それでも持ち帰れるものはある。
- 「教訓が含まれている」という読みは、読む側と編む側の作業の結果でもある。民間伝承を、危機管理の知恵として引くときには、どの版・どの再話・どの教科書を通ったのかを確かめる
- 伝承の「機能」は、誰が教訓を付けたのかによって、評価の主体が変わる。小波の場合、機能していたのは国家の規範である
- 「役に立った」「害になった」を同じ熱心さで数える手順は、昔話でも要る。ただし昔話の側には、数える材料が少ない
この回で確かめられなかったこと
- 昔話の「口承の段階」での教訓の有無。採録された話は、すでに採録者の手を通っている
- 昔話のうち教訓的でない話の割合。数えた研究を確認できなかった
- 小波の『日本昔噺』の原典と、各編の典拠との照合。増井論文の記述に拠っている
- 国定教科書各期の桃太郎の本文。アントニの論文は要旨でしか確認していない
- グリムの各版の本文の照合。レルケとザモンズは、事典項目と書評である
- 柳田國男・関敬吾・小澤俊夫の原典での機能論の文言。百科事典のコトバンク転載で確認した
- Norenzayan ら(2006)の成功の指標は検索ヒット数であり、現代のウェブ上の人気である
- 病や衛生を扱う昔話の具体例と、その機能を論じた研究
次回は、憑きものを扱う。害の側の材料が最も多い題材である。