前々回は穢れ、前回は疫病神を確かめた。今回は憑きものである。
憑きものは、民俗学が最も熱心に調べてきた題材の一つで、機能の説明も多い。不幸や病や富の偏りに説明を与える。共同体の秩序を保つ。そうだとすれば、憑きものは、結果として人を守る危機管理として働いた、と言えるのか。
検証する前提を、一文に直す。憑きものの観念と実践は、結果として人を守るものとして働いた。
最初に、前提の中の「人」を、分けておく。憑きものを信じ、恐れ、祈った共同体の多数者。憑きもの筋とされた家の人々。憑かれたとされた病者。この三者に、同じ働きが及んだとは限らない。
この回は、害の側を数える回である。前回までと同じく、数えられるものと、数えられないものを分ける。
史料の整理
「憑きもの」と「憑きもの筋」は、別の問題である
まず、言葉を分ける。高橋典史は、こう書く1。
「憑きもの」という俗信における個人の憑依現象と家筋への差別の問題を、安易に同時に論じることは、現象の混同や誤解を招く危険性がある。なぜなら、「憑きもの筋」の家筋の成員は、必ずしも憑依現象とは関係はない。
憑きもの(個人に憑く動物霊や生霊、およびその憑依現象)と、憑きもの筋(「憑きものを使役している」とされる家筋)は、別である。この回では、二つを分けて見る。
憑きもの筋: 婚姻の忌避
憑きもの筋の害は、婚姻を中心に出る。
明治期の精神医学者は、すでに書いていた。島村俊一は、島根県の人狐持ちの家筋について、こう記した(斎藤喬の引用)2。
結婚等を営まんとするの際、最も初めに人の注意探検するは、彼の家筋と号して人狐持なるや否を確むるにあり。若し不幸にして此浮評あるときは、如何なる良縁といえども忽ち破談となり、為めに終身無夫無妻の境遇に陥り、或は西国巡礼と称して郷里を去り、又は妻子を携へて身を河淵に投ずるものありと。
徳島の荒木蒼太郎(1900)は、犬神筋が「嫁娶を議せず」忌まれる様子を、「其状恰も癩病の遺伝ある家系を嫌忌すると相似たり」と書く2。
戦後も、事件の記述がある。土取俊輝は、速水保孝の記述として、昭和27年(1952)に、憑きもの筋の女性との結婚を両親に反対された非憑きもの筋の男性が、青酸カリで心中した事件を紹介する。速水によれば、昭和23〜28年(1948〜53)の間に、松江法務局が人権擁護の観点から正式に取り扱った、狐持ちが原因の悲劇的な事件は、46件にのぼる3。
この「46件」には、注意が要る。速水の記述の引用であり、「人権擁護の観点から正式に取り扱った」件数で、結婚差別に限られない。速水の原典は確認していない。
高知県では、昭和44年(1969)に、高知人権擁護委員連合会が、既婚者・未婚者・学生950人(うち既婚者700人)にアンケートをした。酒井貴広が、新聞記事の要約として紹介する実数は、次のとおりである4。
| 設問 | 人数 |
|---|---|
| 既婚者のうち、犬神・へび神について相手方を調査した人 | 201人 |
| そのうち、実際に相手の家族に該当する者がいた場合に結婚を断ると答えた人 | 113人 |
| 未婚の男女のうち、同じような調査をした人 | 123人 |
| そのうち、調査結果によっては結婚を断るとした人 | 86人 |
未婚の母数は、酒井が引く記事の要約で数字が合わない(酒井自身が注で誤りの疑いを付けている)ので、ここでは使わない。母集団の抽出方法も不明である。
一方、日常の交際は、別だった。飯島康夫の群馬県南西部N集落の調査(1992年)では、オサキのいるとされる家との通婚は「徹底的に忌避された」。ただし、「次に述べる通婚を除けば、交際を拒絶しているわけでなく、日常のつきあいは頻繁にかつ普通に行われている」。井戸の共用や貰い風呂もあった。贈答だけは、「何か貰えばすぐにお返しをする」ことを、ムラ中で気をつけていた5。排除は、婚姻に集中していた。
現代はどうか。酒井の聞き取り(2011年〜、高知県幡多郡と徳島)は、表立った犬神による差別(特に結婚の忌避)は「ほぼ無くなった」が、水面下で続いている、と書く4。ただし、これは質的な調査で、数値化された意識調査ではない。自治体の人権意識調査で、憑きもの筋への差別を直接測ったものは、今回の探索範囲では見つからなかった。
憑きもの: 診断の取りこぼし
次に、憑きもの(憑依現象)の側である。
島村俊一は、1891年(明治24年)に島根県で調査し、34名を診た。岡田靖雄の紹介(冒頭部)によれば、内訳は人狐憑き29名、犬神憑き(外道憑き)2名、狸憑き1名、野狐憑き2名である6。
診断の内訳は、次のとおりである6。
| 診断 | 人数 |
|---|---|
| ヒステリー狂およびヒステリー | 15 |
| 錯迷狂(パラノイア) | 4 |
| 躁狂 | 4 |
| 酒精中毒症 | 3 |
| マラリアおよびチフス | 3 |
| 続発痴狂 | 1 |
| 老人痴狂 | 1 |
| 関節炎 | 1 |
| 肺癆 | 1 |
| 卵巣のう腫 | 1 |
34例のうち、少なくとも6例(マラリア・チフス・関節炎・肺癆・卵巣のう腫)は、身体の病気である。狐憑きとされた状態像には、熱性譫妄が5例ある6。熱の出る病気や、腫物が、狐憑きと見なされていた。
さらに、狐憑きと認められた経緯がある。責めを受けたのちに自白して狐憑きと認められたのが10名、他からただちに狐憑きと目されたのが24名だった6。この内訳に、本人が自ら言い出した例は出てこない。
ただし、この調査は、精神医学者が、狐憑きを精神病と位置づけるために行ったものである。酒井は、精神医学の憑きもの筋批判が、憑きもの筋とされた人々を攻撃的な語りから救い出した一方で、被憑依者を「肉体的・精神的形質の欠陥を有する者」として攻撃される側に置き換えただけで、根本的な解決には至っていない、と批判する7。診断することが、そのまま害の解消にならない、という留保である。
民間療法: 呉秀三・樫田五郎(1918)の調査
呉秀三と樫田五郎の『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』(1918)は、憑きものの調査ではない。私宅監置の実況調査で、第四章に「民間療方ノ実況」がある8。憑きもの・狐憑きに触れる例は、105例のうち、OCR の全文検索で拾えた範囲では数例にとどまる(画像で確認したのは第39例)。そのため、憑きものそのものの害の数値を取る材料としては限定的で、「精神病の民間の処置の害」としては重い材料である。
調査の規模は、視察した監置室が364室、監置患者が361人(室数と人数は一致しない)である。視察は1910年から1916年にかけて、一府十四県で行われた8。
民間療方の総説は、こう書く8。
或ハ精神病ヲ以テ狐狸犬猿等ノ憑依ニ基クモノト迷信スルモノ亦鮮カラザリキ。之ヲ以テ之ガ療法モ醫師ノ手ニ委子ラルヽヨリハ、寧、神官・僧侶ノ言ニ聽キ禁厭・誦經以テ之ガ祓禳ヲ謀リ
灌瀧(滝に打たせる水治)について、高雄山の記述は次のとおりである8。
灌瀧ノ精神病ニ及ボス影響ハ稀ニ良好ナルコトアリト雖、之ヲ一般ヨリ云ヘバ不良ナリ。大正五年中參籠者ニシテ死亡セシモノ八人アリタリト云フ。
稀に良好なことはあるが、一般には不良である。大正5年(1916)の参籠者で死亡した者が8人いた、という。
民間療方への総括は、第六章と第八章にある。「神社仏閣ニ於ケル精神病者ニ対スル処置ノ大多数ハ不完全ニシテ、灌瀧ノ如キハ時トシテ危険ヲ伴フコトアリ」「其他民間療方ニ於テ見ルベキ価値アルモノ殆ンドコレナシ」8。
第七章の冒頭は、画像で次のように書く8。
又一面吾人ハ民間療方ニモ何等見ルベキモノナク、且ツ時トシテ危險ヲ伴フ措置アルヲ知リ
有名な一文は、同じ章(138頁)にある。
我邦十何萬ノ精神病者ハ實ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ。
主語は、精神病者全般と、国家の施設の欠落である8。私宅監置の廃止と、民間療方の危険の指摘を併せた文脈にある。
具体例も、挙げられている。第39例(農、32歳、14歳発病)は、狐憑きとして扱われた例である。初めは病者に知らせないで、突然後ろから太刀の峯で打ち、のちには斧の背で腰を数回打った(実父が行った)。さらに、中流以上の資産のあった家が、看護・医薬・禁厭などに大半を消費し尽くした、とある(37頁)8。
受診の状況も、数えられている。医治を受けていた者は、表の母数141人のうち48.2%、受けていなかった者が51.8%である。主治医の診察を受けつつあった者は22.0%に過ぎない。本文は、「七八・〇プロセント」は実際には全く治療を加えられていなかった、と書く(124頁)8。この母数は、全361人ではなく、表の対象となった141人である。
民間療法の「良い面」も、同じ資料に書かれている
呉・樫田は、民間療方を一律には否定していない。
- 僧侶・神官の態度は、「一般ニ敢テ干渉的ニ之ヲ行フニアラズシテ、却ツテ放任主義ヲ取リ、患者側ノ請託ニヨリテ初メテ加持禁厭ヲ行フモノ多キ」。作業療法を試みる例を、「欣ブベキ事実」と書く(88頁)8
- 定義温泉(宮城)は、「精神病者ノ民間水治療方場トシテ理想ニ近キモノナリ」とされる(99頁)。橋本明も、これを、当時の西洋の理論に一致する理想として評価されたと整理している9
- 総括は、直ちに廃止を呼号するのではなく、医師の監督下に置くか、精神病院の組織にして、療養所を設立せよ、と提案する(136〜137頁)8
橋本明は、岩倉(京都)の家庭での看護が、「家族看護(foster family care)」の村として、当時の西洋の精神科医に評価された例を挙げる。そのうえで、医師が、土着の実践の全体系のうち、医学的側面のみを見がちだったとも指摘する9。
寺社側の自己申告として、治癒は「十分ノ七」、自殺者はなかった、という記述もある。これは検証されていない。
憑き物落としが、暴力と死に至った例
加持祈祷事件(1957年)は、判決文で確認できる。昭和32年10月、18歳の女性の異常な言動に、家族が加持祈祷を依頼した。約1週間の祈祷の後、僧侶は、大きな狸が憑いていると考え、線香護摩を焚いた。第一審判決は、次のように認定している10。
- 締めきった部屋で、護摩壇の傍に女性を引き据え、「ど狸、早く出ろ」と怒号しながら、咽喉部を線香の火で烟らせた
- 女性を押さえつけ、背中を殴る等した
- 全身の熱傷・皮下出血、二次性ショックと疲労困憊による急性心臓麻痺で、午前4時30分頃、死亡した
大阪地裁(昭和35年5月7日)は、被告人に、懲役2年・執行猶予3年を言い渡した。判決は、こう述べる10。
本件はいわゆる憑きものに対する俗信が一人の年若い女性を死に到らしめたものである。…世上いわゆる狐憑き、狸憑きあるいは生霊憑き等と称する俗信がいま、なおかなり根強く残つて居り、そのため種々の人権侵害、社会的悲劇が発生している事実は憂慮に堪えない。
そして、行為が「医学上一般に承認された精神異常者に対する治療行為でないことは勿論」とした。最高裁大法廷(昭和38年5月15日)は、上告を棄却し、「信教の自由の保障も絶対無制限のものではない」と判示した11。
量刑上は、家族の依頼であったこと、被告人が宗教者として欲得を離れ、病気の平癒を願ったこと、暴行が被告人だけによるものではなかったことが考慮された。
もう一つの記録が、江口重幸が調べた滋賀県の山村の症例である。事故のあとに興奮状態となった18歳の男性は、開業医の注射で一時眠り、精神病院を受診したが、「脳波のみを測って帰されてしまう」。家人が「手足を縛るぞ」と脅すと、本人が「縛って欲しい」と頼み、4〜5日間縛ったままにされた。その間、いろいろな宗派の人が憑き物落としを申し出た。最終的には、飲まず食わずで衰弱していくのを心配した民生委員が、両親に強く勧めて入院となった12。
同じ村の内科医は、こう語る12。
医者とお伺いと半分半分で薬もきちんと飲んでいる。…多くはお伺いを立てたりしているうちに治ってしまうようである。…校医も兼ねているといろいろな宗教の人がいて困る。中には、迷信からか、患部に粘土を擦り込んでくるものとかいて、そんな例が絶えない。
併用の実態と、困りごとの両方が、一つの語りに入っている。
江口は、総括で、伝統的な治療儀礼は「拷問にも似た暴力性」を紛れ込ませる傾向があった、と書く。江戸末期の弘化元年(1844)には、土佐で総勢64名の「犬神憑き」が出現し(のちに狸憑きと分かった)、杖・十手で打ち伏せ、鉄砲を放ち、犬を嗾して噛みつかせ、芥子の煙を鼻に扇ぎ込んだ記録がある(『豊永郷奇怪略記』)12。
病が憑きもの筋を特定する回路
飯島の群馬の調査には、病が憑きもの筋の特定につながる回路が出てくる。昭和3年(1928)、小学3年の児童が、小石が太股に当たったあと寝込み、「食い殺すまで離れねえ」と口走った。ムラ中の騒ぎになり、あちこちの神道者に頼み、最後の火護摩のあと、病人は息が切れて死んだ。語り手は「オサキに取り殺された」と語る。語りに、医師の関与は出てこない5。
飯島は、憑かれた事例が、出産・肺炎・発熱・外傷といった、身体が弱っているときに起きていると整理する5。病気は、憑きものの語りを呼び、その語りが、特定の家筋を指す。
私見・考察
前提は、どこまで成り立ったか
「憑きものの観念と実践は、結果として人を守るものとして働いた」を、三者に分けて確かめた結果である。
| 三者 | 確かめられたこと | 確かめられなかったこと |
|---|---|---|
| 共同体の多数者 | 説明体系・社会統制の機能が論じられている(吉田・小松の説。飯島・酒井の整理で確認。原典は未確認) | 感染や死亡を減らした証拠。受診を促した証拠 |
| 憑きもの筋とされた家 | 婚姻の忌避。事件(46件、心中)。現代も水面下で続くという聞き取り | 憑きもの筋とされたことが、その家にとって守りとなった証拠 |
| 憑かれたとされた病者 | 診断の取りこぼし(34例中、身体疾患を含む)。灌瀧での悪化と死亡。暴力を伴う憑き物落とし。医治の欠如(22.0%) | 憑き物落としが受診や転帰を改善した定量的な証拠 |
社会統制の機能があったとしても、その代価を払ったのは、憑きもの筋とされた家と、憑かれたとされた病者だった。これが、確かめられた範囲での結論である。
「誰にとっての危機管理か」を分けないと、危機管理という言葉は、利益を受けた側だけを数えることになる。
支持する材料の位置づけ
支持する材料も、確かにある。
- 吉田禎吾らの機能論は、憑きもの信仰が、複数の関係原理が錯綜する社会で、富の急激な獲得者や規範からの逸脱者を統制する社会統制として働いた、と論じた(飯島・酒井の整理で確認。原典は未確認)5
- 憑きもの筋とされた側の我慢と同時に、周囲も相手を刺激しないよう注意していた、という記述がある(酒井の整理。吉田の原典は未確認)。群馬の「お返しを欠かさない」は、その例である5
- 村の併用の実態:「医者とお伺いと半分半分で、薬もきちんと飲んでいる」12
- 寺社の一部は、開放的な処置や作業療法を行い、呉・樫田もそれを評価した8
ただし、これらは、共同体の秩序の維持や、受診と併用の存在を示すもので、憑きものが人を守ったことを示す定量的な証拠ではない。感染や死亡を減らした証拠も、受診を促進した証拠も、今回は確認できなかった。逆に、受診の遅れや害を定量化した日本のデータも、確認できなかった(個別の事例と判決例のみ)。
「生存者バイアス」の四つの区別に当てる
| 名前 | 今回の場合 |
|---|---|
| 生存者バイアス(標本の偏り) | 資料の大部分が、差別の批判・撲滅を目的に書かれ、「憑きもの筋を否定する」点で共通する。大きなバイアスがかかっている(酒井)7。群馬の資料も、非憑きもの筋の側からの聞き取りのみ5 |
| 確証バイアス | 社会統制の機能を拾えば、「守った」ように見える。婚姻忌避や死亡の事例を同じ熱心さで数えないと、片側だけを数えることになる |
| 事後的な機能の読み込み | 吉田・小松の機能論は、残った憑きもの信仰を、機能から説明する。形成の過程(新来者説、貨幣経済説)は、地域によって当てはまらない例が出ている(飯島)。今回は、飯島の個別の事例のみ確認した |
| 文化的な選択 | 該当する材料はない |
医療との接続として
この回は、三回のうちで、医療との接続が最も強い回である。
- 診断の取りこぼしは、数で確認できた。狐憑きとされた34例に、マラリア・チフス・結核・卵巣のう腫・熱性譫妄が含まれていた
- 民間療法の害は、事例では確かめられる(灌瀧での死亡、加持祈祷事件)。ただし、定量的な受診遅延の研究は、日本のものを確認できなかった
- 併用の実態も、確かめられる。「医者とお伺いと半分半分」である。「効果がある」か「害がある」かの二分は、実態に合わない
- 呉・樫田は、民間療方を、一律に否定せず、医師の監督下に置く改善案を出した。評価の基準は、医療の側の原理(医学的に説明できるかどうか)だった。橋本明が指摘するとおり、土着の実践の全体系は見られていない
この回で確かめられなかったこと
- 速水保孝『つきもの持ち迷信』、吉田禎吾『日本の憑きもの』、石塚尊俊『日本の憑きもの』、小松和彦『憑霊信仰論』の原典。酒井・土取・飯島の引用経由で見た
- 島村俊一「島根県下狐憑病取調報告」の原典。岡田靖雄の紹介(冒頭部)で確認した
- 呉・樫田の東京医学会雑誌版との照合。内務省衛生局の単行本の画像で確認した
- 憑きもの筋への差別の現代の実態調査の数値。自治体の人権意識調査では見つからなかった
- 憑きもの落としによる殺人事件の件数(江口が引く木村1968・佐々木1977は未確認)
- 日本の憑依の疫学(有病率・受診行動)
- 受診の遅れを定量化した日本の研究。他地域の研究(アフリカ・アジア・インド)は、日本の過去には外挿できない
次回から、題材を国学に移し、国学者が病・死・見えないものをどう説明したかを確かめる。