ハンガリー日記

人物・小話/2026-07-05

ピアノの魔術師、リスト・フェレンツの話

ヨーロッパ中の聴衆が彼のピアノ演奏に熱狂し、女性たちは失神したと伝えられています。19世紀最大のピアニストと呼ばれたリスト・フェレンツ(ドイツ語名:フランツ・リスト)は、ハンガリーが世界に誇る音楽家のひとりです。今日は、そんな彼の生涯を留学生の目線でゆるりとたどってみます。

ハンガリー生まれの「神童」

リストは1811年、現在のオーストリアとの国境に近いドボルヤーン(現在はライディングと呼ばれます)に生まれました。当時はハンガリー王国の一部でした。父親は貴族エステルハージ家に仕えるアマチュア音楽家で、幼い頃からリストのピアノの才能を見出し、9歳にはブダペストで最初の公開演奏を行っています。

その才能はすぐに貴族たちの注目を集め、ウィーンへ、そしてパリへと活動の場を広げていきました。パリでは「神童」として社交界の寵児となり、ショパンやベルリオーズといった同時代の作曲家たちとも深い友情を結びました。

「ピアノの魔術師」が変えたコンサートの形

リストが音楽史に残した功績のひとつが、ピアノ独奏リサイタルの形式を作ったことです。それまで演奏会はオーケストラや複数の演奏家によるものが主流でしたが、リストはひとりでピアノを弾き続けるスタイルを確立し、聴衆を魅了しました。

彼のピアノ曲は当時の技術の限界を超えるほど難しく、「ハンガリー狂詩曲」シリーズや「愛の夢」、ピアノ・ソナタ ロ短調などは現在も世界中のピアニストが挑戦し続ける名曲です。ハンガリー民謡の旋律を取り入れた「ハンガリー狂詩曲」は、彼の故郷への愛情が詰まった作品でもあります。

晩年はブダペストに根を張る

華やかな演奏活動で名声を得たリストは、晩年になるとハンガリーへの帰属意識を強めていきます。1875年にはブダペスト音楽院(現在のリスト・フェレンツ音楽大学)の設立に深く関わり、初代院長に就任しました。今でもブダペストの音楽院には彼の名前が刻まれており、世界中から学生が集まっています。

また、晩年のリストはカトリックの修道士の位を授かり、「アッベ(神父)リスト」とも呼ばれるようになりました。煌びやかなコンサートピアニストと修道士という組み合わせは、なかなか想像しにくいですよね。

ブダペストのリスト・フェレンツ広場(アンドラーシ通りの近く)には彼の像が立っています。留学中に何気なく通り過ぎていたこの広場が、実は音楽史の巨人ゆかりの場所だったと知ると、また違う目で街を歩けそうな気がしませんか?