詩から始まった革命、1848年
ブダペストの街を歩くと、コシュート・ラヨシュ(Kossuth Lajos)やペテーフィ・シャーンドル(Petőfi Sándor)という名前の通りや像によく出会います。今日はハンガリーの国民の祝日のひとつ、3月15日のもとになった「1848年革命」について書いてみます。詩人の声から始まり、独立への夢と悲劇的な結末を迎えたこの出来事は、今もハンガリー人の心に深く刻まれています。
詩人が灯した「自由」の声
1848年3月15日、当時のペスト(現ブダペストの一部)のカフェ「ピルヴァクス」に若者たちが集まりました。そこで詩人ペテーフィ・シャーンドルが朗読したのが、自作の詩「Nemzeti dal(民族の歌)」です。「奴隷であるよりは死を選ぼう」と訴えるこの詩に呼応するように、群衆は街へ繰り出し、出版の自由や農奴制の廃止、独自の国会の設置などを求める「十二か条の要求(Tizenkét pont)」を掲げました。当時ハンガリーを支配していたハプスブルク家は、勢いに押されて改革を約束し、ハンガリーには独自の政府が認められることになります。
独立宣言、そして弾圧へ
しかし自由を得た喜びは長くは続きませんでした。ハプスブルク家との対立は深まり、コシュートを指導者とするハンガリー側は1849年4月、ついに独立を宣言します。これに対しウィーン側は、隣国ロシアの皇帝ニコライ1世に援軍を要請。ロシア軍の介入によって、ハンガリーの独立運動は1849年8月までに鎮圧されてしまいました。コシュート自身は国外へ逃れ、二度と祖国の土を踏むことはなかったといわれています。
今も忘れられない記憶
鎮圧後の1849年10月6日、革命を率いた将軍たちが現在のルーマニア領アラドで処刑されました。この日は今でもハンガリーで追悼の日として静かに記憶されています。一方、革命が始まった3月15日は独立への意志を示した日として、現在ハンガリーの国民の祝日に定められ、各地でコシュートやペテーフィの像に花が捧げられます。
たった一篇の詩が、こんなに大きな歴史のうねりを生んだのかと思うと、言葉の力に驚かされます。ブダペストの街角に立つ像の一つひとつに、こうした物語が眠っているのだと知ると、日々の散歩がまた少し違って見えてきます。

