人物・小話/2026-06-14
ビタミンCを発見した男——セント=ジェルジの話
オレンジを食べると風邪に効く——そんな話を一度は聞いたことがあるはず。その理由がビタミンCにあると、世界で初めて証明した科学者が、実はハンガリー出身のアルベルト・セント=ジェルジ(Albert Szent-Györgyi)です。1937年にノーベル生理学・医学賞を受賞した彼の人生は、発見の喜びだけでなく、戦争や亡命という波乱に満ちたものでした。
パプリカがビタミンCの宝庫だった
セント=ジェルジは1893年、ブダペストの医師一家に生まれました。大学で医学・生化学を学んだあと、ヨーロッパ各地の研究機関を渡り歩き、「生命の酸化反応」を解き明かすことに情熱を注ぎます。1920年代後半、彼はオレンジやレモンの絞り汁から謎の物質を取り出すことに成功し、これが「アスコルビン酸」、すなわちビタミンCであると突き止めました。
研究を進めるうえで大きな助けになったのが、ハンガリーが世界に誇るあの食材——パプリカです。彼が当時勤めていたセゲド大学の周辺はパプリカの一大産地。新鮮なパプリカにはレモンをはるかにしのぐ量のビタミンCが含まれていることをセント=ジェルジは発見し、大量のパプリカから純粋なビタミンCを抽出することに成功しました。ハンガリーの国民的スパイスが、世界の科学史に名を刻む実験材料になったというのは、なんともロマンのある話です。
戦争と亡命——科学者としての試練
ノーベル賞受賞後も、セント=ジェルジの人生は平穏ではありませんでした。第二次世界大戦中、ハンガリーはナチス・ドイツと同盟を結んでいましたが、彼はユダヤ人の友人や同僚を命がけで匿い、連合国との秘密交渉にも関わりました。そのためドイツのゲシュタポに目をつけられ、戦争末期には偽名を使いながら地下に潜伏して生き延びました。
戦後はハンガリーに戻り、科学アカデミーの要職に就きます。しかし共産党政権が強まるにつれて研究の自由が損なわれ、1947年にアメリカへ亡命。マサチューセッツ州ウッズホール海洋生物学研究所に腰を据え、今度はがん研究に晩年の情熱を傾けました。異国の地でも探求を続けた姿は、純粋な知的好奇心の象徴とも言えます。
ハンガリーが誇る「もう一人の天才」
ハンガリーといえばルービックキューブやフーディーニが話題になりますが、セント=ジェルジもまた「人口1000万人の小国から世界的な発明・発見が生まれ続ける」ことを象徴する人物のひとりです。ブダペストの科学大学には彼の名が冠せられており、セゲドにはビタミンC発見を記念したモニュメントもあります。
毎日当たり前のように摂るビタミンC。そのサプリメントの錠剤一粒の裏側に、ハンガリーのパプリカ畑とひとりの科学者の執念が詰まっているかもしれません。ブダペストやセゲドを訪れる機会があれば、ぜひ彼の足跡を辿ってみてください。きっと旅がもう少し深くなるはずです。

