食/2026-06-09
ハンガリー料理の「赤い魂」パプリカパウダーの話
ハンガリーの台所をのぞくと、必ずと言っていいほど目に入るのが赤いパウダーの缶です。スーパーに行けば棚いっぱいに並び、食堂ではテーブルの上に塩・コショウと並んで置いてある。そう、パプリカパウダーはハンガリー料理のど真ん中にある調味料です。グヤーシュやパプリカーシュ・チルケ(チキンのパプリカ煮)のあの鮮やかなオレンジ色は、すべてこのパウダーが生み出しています。
パプリカはどこからやってきた?
面白いことに、パプリカはハンガリー原産ではありません。もともとはメキシコ周辺が原産の唐辛子で、15世紀にコロンブスが中米探検の際にヨーロッパへ持ち帰りました。その後バルカン半島を経由してハンガリーに伝わり、貴族の庭で栽培されるようになったのが始まりです。
「パプリカ」という名前はスラブ語で唐辛子を意味する「papar」が由来とされています。最初は辛みの強い品種が主流でしたが、何世代にもわたる品種改良によって甘みが増し、現在のような鮮やかな赤色と豊かな香りを持つハンガリー独特のパプリカが誕生しました。
カロチャとセゲド、二大産地の誇り
ハンガリーのパプリカといえば、カロチャ(Kalocsa)とセゲド(Szeged)という二つの町が有名です。どちらもハンガリー南部、ドナウ川やティサ川の恵みを受けた肥沃な土地に位置しています。秋の収穫シーズンになると、農家の軒先や通りには収穫した赤い唐辛子が連なって干され、一帯が真っ赤に染まる光景が広がります。
ハンガリーのパプリカパウダーには辛さの度合いによっていくつかの種類があります。最もポピュラーなのは「édes(エーデシュ)」と呼ばれる甘口タイプで、色鮮やかで香りも豊か。一方「csípős(チポーシュ)」になると辛みが加わり、ピリッとした刺激が楽しめます。ハンガリー人の家庭には両方が常備されていることが多く、料理によって使い分けています。
ノーベル賞を生んだスパイス
パプリカには、意外な科学的な物語もあります。ハンガリー出身の生化学者アルベルト・セント=ジェルジ(Albert Szent-Györgyi)は、パプリカの果肉にビタミンCが豊富に含まれていることを発見し、その功績により1937年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。つまり、あの小さな赤いパウダーが世界の科学史にも名を刻んでいるのです。
留学中、地元のおばさんに「うちのグヤーシュが一番おいしい秘訣はパプリカの量よ」と自信満々に言われたことがあります。確かに、市販のルーや缶詰ではなく、パプリカパウダーをたっぷり使った手作りの煮込みは、色も味も全然違います。ハンガリーを旅する機会があれば、スーパーで小さな缶を一つお土産に買ってみてください。帰国してから作るグヤーシュが、一気に本場の味に近づきますよ。

