EXPLORE BY FIELD
医療×政治・制度
制度がなぜ今の形をしているのか。設計されたのか、積み重なったのか。
FIELD & MEDICINE
この分野と医療
医療制度は、誰かが一度に設計したものではなく、法の条文、審議会、予算、先行制度の惰性が積み重なってできている。ここでは、制度の来歴(いつ、誰が、何の問題への応答として入れたか)を辿り、「そうなっている」ことと「そうあるべき」ことを切り分ける。
この分野の記事
新しい記事から五十九年かけて、条文になった一語
この列は十二本にわたって「測られていない」を書いてきた。反例を一つ見つけた。医療法第15条の2である。検体検査には精度の確保が法律上の義務として書かれている。だが条文を読むと、義務になったのは責任者・標準作業書・作業日誌・台帳という手続の層で、外部精度管理調査の受検は努力義務だった。施行通知は理由まで書いている——「地域医療への影響等を勘案し、まずは努力義務としたところである」。そこに至るまでの経路を辿ると、五つの層が順に現れる。法令化後、その手続遵守は立入検査で追跡され、適合率は91.5%から96.0%で推移している。だが実際の測定誤差が法改正前後でどう変わったかを追う全国的な系列は、今回確認できた公開資料には無かった。
英国のゲートキーピングは、設計されたのか
日本にゲートキーピングが無い理由を辿った回の、裏返しである。英国はなぜ登録制とゲートキーピングを持つのか。1948年のNHS創設に答えがあると思って調べたら、患者一覧も医師選択権も、その37年前の1911年国民保険法15条2項に明文であった。1946年法33条はそれを「利用したいすべての人」の一般医療制度として書き直している。紹介の階層を正面から設計した文書は1920年に実在するが、その通りには実装されていない。英国医師会が1948年に勝ち取ったのは患者の受診先の制限ではなく、医師の独立自営だった。単一の設計図は無かったが、部品は偶然でもなかった。
医療と介護は、分けない方がよいのか
ハンガリーの病棟では医療と生活支援が同居していた。統合すれば柔軟で、費用も抑えられるのではないか——167文献を検討したレビューが支持したのは患者満足度・アクセス・知覚された質で、費用については「不一致または限定的」だった。さらに調べると、日本もハンガリーも「統合/分離」の一語では表せない。日本は医療保険と介護保険を分けながら地域で束ね、ハンガリーも医療系と社会ケア系の長期ケアを別制度で持つ。問うべきは境界の有無ではなく、境界を越えて情報・責任・ケアがつながっているかだった。
島根モデルは、再現できるのか
前の記事で宿題を残した。島根で何が効いたのか、他県で再現できるのか。日本専門医機構の年次報告を8年分突き合わせると、論文の掲げる採用率15.8%は単年の値で、8年をプールした値は11.4%だった。さらに大学のプレスリリースには論文にない列がある——42名中17名が地域枠等。国際論文と国内向け資料を照合すると、ネットワークとは別の要素が見えてくる。採用増は検算できるが、その原因は一つに特定できない。一方、同じ発想で別の軸を畳んだ福井は、設計を残したまま2026年度の採用が0になっている。
日本にゲートキーピングが存在しないのは、なぜか
英国やオランダと異なり、日本の国民皆保険制度は患者がどの医療機関にも紹介状なしでアクセスできるフリーアクセス design を採用している。この設計は1961年の皆保険達成時に意図的に選ばれたものというより、日本医師会の政治力・診療報酬による費用抑制という別の選択・医局制度による専門医偏重の医療文化が積み重なって定着したものだった。そしてこの60年来の settlement は、2025年の財務省提案という形で、今まさに再び争点になっている。
フリーアクセス=非効率、という前提を検証する
受診回数の多さだけを根拠に日本のフリーアクセスを「非効率」と断定することはできない。ただしACSCは質とアクセスの指標であって効率性の指標ではないので、逆に「だから効率的だ」とも言えない。ACSC研究は一次医療へのアクセスや継続性が回避可能入院と関連することを示す一方、病床供給も入院率を左右する。2026年のOECDレビューでも、ゲートキーピングは専門医の需要を減らすが、その影響は mixed で文脈依存だった。問うべきは制度のラベルではなく、日本の多い受診のうち何が高価値で、何が代替可能なのかである。「前提を疑う」シリーズ第4回。