SERIES
前提を疑う
地域医療をめぐる議論の前提そのものが、実証的にどこまで裏付けられているかを検証するシリーズ
012026-08-14前提を疑う医療費が増えても、医療の質が上がるとは限らない医療費の増大を「危機」と語る前に、支出が医療の質にどれだけ転化しているかを問う必要がある。回避可能死亡・ACSC・OECD HCQIといった指標を手がかりに、支出と質の関係を国際比較・国内データの両面から検証する。支出と成果には平均的には正の関係があるが、それは線形ではなく、同じ支出水準でも国・地域・施設によるばらつきが大きい。日本でも測る部品は揃ってきた——OECD指標、DPC、NDB、医療の質可視化プロジェクト。足りないのは、支出とリスク調整済みアウトカムを結び付けて value for money を検証する接続の部分である。「前提を疑う」シリーズ第1回。022026-08-14前提を疑う高齢化は、医療費増大の「主犯」なのか総論は「高齢化→医療費増大」を前提に組み立てられている。だが問うべきは高齢化が医療費を増やすかどうかではない——増やすことはほぼどの文献も認めている。問うべきは、高齢化が伸びをどこまで説明するのか、そしてその寄与が医療の種類によってどう違うのかである。急性期医療と介護、マクロとミクロで結論が分かれる「レッドヘリング仮説」を軸に検証する。同じ「高齢化による増加分」という言葉が、学術では原因の分析として、予算編成では歳出管理の基準として使われていることも扱う。「前提を疑う」シリーズ第2回。032026-08-15前提を疑う専門医偏重は、本当に多疾患併存ケアに非効率なのか総合診療の必要性を支える中心的な因果推論だが、総論自身が「国際知見の輸入であり日本国内の実証研究は見つからなかった」と認めていた前提を検証する。国際文献では「専門医偏重」自体を直接検証した研究は少なく、より頑健な説明変数は継続性(continuity)と分断(fragmentation)であることが分かった。日本では233万人規模の全国データがまさにこの検証に迫っているが、国内の学会誌自身が数年前まで該当する日本語原著論文がゼロだったと認めている。「前提を疑う」シリーズ第3回。042026-08-15前提を疑うフリーアクセス=非効率、という前提を検証する受診回数の多さだけを根拠に日本のフリーアクセスを「非効率」と断定することはできない。ただしACSCは質とアクセスの指標であって効率性の指標ではないので、逆に「だから効率的だ」とも言えない。ACSC研究は一次医療へのアクセスや継続性が回避可能入院と関連することを示す一方、病床供給も入院率を左右する。2026年のOECDレビューでも、ゲートキーピングは専門医の需要を減らすが、その影響は mixed で文脈依存だった。問うべきは制度のラベルではなく、日本の多い受診のうち何が高価値で、何が代替可能なのかである。「前提を疑う」シリーズ第4回。052026-08-15前提を疑う自己負担3割は、経済学的に正しいのか医療需要には価格反応がある。だから自己負担をゼロにすればよいわけではない。しかし価格反応があることから「一律3割」が最適だとは導けない。RAND以来の研究が示すのは、患者が高価値の医療と低価値の医療を選り分けて減らすわけではないということである。日本の制度はさらに、年齢・所得・月額上限・年間上限によって限界価格が大きく変わる非線形な構造を持つ。ただしその差別化の軸は、臨床的価値ではなく支出額と負担能力である。問いは「3割か1割か」ではなく、何に、誰に、どの価格を付けるのかである。「前提を疑う」シリーズ第5回。062026-08-15前提を疑う公平性と価値を同時に測る指数は、作れるのか公平性と価値を一つの数字で測れないか——そう考えて式を組み、壊した記録である。必要度で割る形はHI指数になっておらず、負の価値重みは集中度指数の解釈を壊す。詰めるほど、既に存在するDCEAへ近づいた。そして本当の問題は重みの決め方ではなかった。どれだけ良い医療が行われているかという水準と、それが誰に届いているかという分布は、一つの数字に潰してはいけない。日本の水平的不公平については2025年に827,168人・13波の全国分析が出ており、需要調整後は小さいと報告されている。「前提を疑う」シリーズ第6回。072026-08-15前提を疑う『静かな持続可能性の危機』は、本当だったのか本サイトの創刊記事は、日本の医療制度が「静かな持続可能性の危機」に直面していると書き出した。その根拠として引用した2本の論文を一次資料まで遡って読み直し、これまでの「前提を疑う」シリーズが明らかにしてきたこと、そして原著者自身による15年後の再評価と突き合わせる。シリーズの中間振り返り。082026-08-15前提を疑う医療費の対GDP比に、『危険水準』というものは存在するのか医療費が対GDP比で何%を超えると『危機』なのか。国や時代を超えて適用できる、広く受け入れられた実証的な危険水準は、今回確認できなかった。しかもこの問いには、財政的に賄えるかという持続可能性、便益が機会費用を上回るかという最適性、同じ支出でより良い結果を出せないかという効率性——三つの別の問いが潜んでいる。国際文献、債務対GDP比をめぐる「魔法の閾値」論争、そして2026年7月に骨太方針が医療給付費の対GDP比を参照指標として明記したことと、それへの日本医師会の即時反発を通じて検証する。「前提を疑う」シリーズ第8回。092026-08-15前提を疑う病院の『経営難』は、どこまで『新しい危機』なのか「危機」の3層構造のうち②個別医療機関の経営難を、実際の収支構造まで分解して検証する。コロナ補助金の剥落、人件費と光熱費の内訳、病床稼働率という数量要因、そして公立病院だけが突出して悪いという開設者間の格差——集計された「赤字率」の裏側にあるものを一次資料で確認する。「前提を疑う」シリーズ第9回。102026-08-15前提を疑う情報は集められているのに、なぜ統計にならないのか行政はすでに情報を集めている。医療法人の関係事業者取引も、全国的な電子収集の対象に入っている。それでも統計にならないのは、収集と分析可能性のあいだに、構造化・品質管理・連結・利用権限という別の制度設計が要るからである。全国収集・全国統計・全国横断検索・個票の一般公開を分けたうえで、政治資金・産業廃棄物・古物商の同型事例、MCDBの検討過程の一次資料、社会福祉法人との対照を検証する。欠けているのは最後の一手間ではなく、data governance である。「前提を疑う」シリーズ第10回。112026-08-15前提を疑う医師偏在指標は、何を測れていないのか医師偏在指標は失敗した指標ではない。患者側の年齢構成も、受療率も、患者の流出入も、医師の性年齢別労働時間も補正した、人口当たり医師数よりずっと精緻な指標である。だが医療アクセスそのものを測る指標ではない。そして2026年、厚生労働省が出した答えは、一つの指標を万能にすることではなかった——医師偏在指標は医師供給の相対差を測るものとして残し、へき地尺度という別の指標を重ねて医師少数区域を決める。制度自身が「単独の指標では足りない」に到達した。「前提を疑う」シリーズ第11回。122026-08-15前提を疑う日本にゲートキーピングが存在しないのは、なぜか英国やオランダと異なり、日本の国民皆保険制度は患者がどの医療機関にも紹介状なしでアクセスできるフリーアクセス design を採用している。この設計は1961年の皆保険達成時に意図的に選ばれたものというより、日本医師会の政治力・診療報酬による費用抑制という別の選択・医局制度による専門医偏重の医療文化が積み重なって定着したものだった。そしてこの60年来の settlement は、2025年の財務省提案という形で、今まさに再び争点になっている。