SERIES
構造から診る
医療社会学・生命倫理・医療心理学・医療コミュニケーションを地域医療に接続するシリーズ。四つの分野はいずれも、問題を個人の属性に帰す説明を否定し、構造と関係に差し戻してきた
012026-08-19構造から診る受診しない人は、どれだけいるのか日本では通院者率409.2が有訴者率255.7を上回る。しかしこれは「症状の大半は医療に持ち込まれない」という症状の氷山と矛盾しない。無症候性の慢性疾患管理が通院者を積み上げるからである。では病気やケガがあっても受診しない人は何%か。全国標本調査でも、広く尋ねれば2022年JGSSで24.2%、費用に限定すれば2023年調査で3.6%。未受診者が数えられていないのではない。何を「未受診」と数えるかが、まだ一つではない。022026-08-19構造から診る継続性は、誰について測られているのか継続性は総合診療の中心概念で、死亡率との関連まで報告されている。だが大規模データで頻用されるCOCやFCIは受診履歴から作られ、受診が1回の人では数学的に定義できない。日本の研究を追うと、対象者は年4回以上の受診者、多疾患併存者、かかりつけを持つ人と、それぞれ別の条件で切り取られていた。全国調査の一本は、かかりつけが無いと答えた47%に設問自体を配っていない。一方、2025年に始まったかかりつけ医機能報告制度が測るのは患者が経験した継続性ではなく、医療機関側の提供能力である。誰について、何を継続性として測っているのかを確かめる。032026-08-19構造から診るかかりつけは、なぜ失われるのかかかりつけが無ければ継続性は始まりにくい。ただし、かかりつけを持つことと第一接触は同じではない。2021年の全国調査では20〜75歳の57.5%が普段頼る医師を持ち、慢性疾患のある人ほど保有率が高かった。さらに、かかりつけを持つ40〜75歳を12か月追うと12.8%が失っていた。高い縦断性・包括性・地域志向性を経験していた人ほど、その後の喪失が少ない。問うべきは一時点の保有率だけでなく、誰が医療との接続を得て、誰が失うのかである。042026-08-20構造から診る分かりにくいのは、誰の問題かヘルスリテラシーが低い人は平均して2人に1人だという。その数字の出所を辿ったら、欧州調査で満点の約3分の2として規約的に置かれた境界だった。同じ8000人に別の尺度を当てると全体の率はほぼ変わらないのに国の順位は入れ替わり、日本の全国標本で使われている尺度にはそもそも境界が無い。「何%が低いか」には、尺度と下位概念と調査方法と閾値によって違う答えが出る。だとすれば個人を低群と高群に選別するより、全員に対して情報負荷を下げ、理解を確認する設計のほうが合理的である。052026-08-19構造から診る説得は、どれだけ効くのか「正したい反射に抵抗せよ」は、助言をするなという意味ではなかった。禁煙の短時間助言には小さいが確実な絶対効果があり、動機づけ面接にも平均としての優位性がある。一方、日本が年間519万人を対象に行っている特定保健指導は、回帰不連続デザインで割り当て効果が1年後−0.29kg、実際に指導を受けた人では−1.56kgと推定された。それでも血圧もHbA1cもLDLも改善しない。「説得は効くか」ではなく、介入そのものの効果と、それが対象者に届く仕組みを分けて考える。062026-08-19構造から診る説明のつかない症状は、誰が診るのか医学的説明がつかないこと自体は、DSM-5以降、精神疾患の診断根拠ではなくなった。一方、持続する身体症状に心理的介入が無効なわけでもない。既存の診療に6時間の研修を足した介入は患者の生活の質をむしろ下げ、研修・監督・構造化された説明・長い診察枠を一体にした専用サービスは改善を示した。問われているのは身体科か精神科かという所属ではなく、紹介した後も誰が問題を引き受け続けるかである。日本には心療内科も心身医学療法も傷病名コードもある。ただしそれらは、現代の症状概念と一対一に対応していない。072026-08-19構造から診る本人が決められないとき、誰が決めるのか意思決定能力を法的な competence と臨床的な capacity に分ける説明を採ろうとして、原典を読むとその区別は普遍的ではなかった。代わりに見えてきたのは、日本の制度の分断である。認知症支援にはAppelbaum型の四要素があり、後見事務にはMCA型の四要素がある。一方、一般医療では「本人の意思を確認できない場合」の後の手順は示されても、その前段階を全国共通に判定する法定テストはない。研究や精神科入院には個別の代諾ルールがある。政府自身が2019年の通知で、第三者の医療同意には法令上の一般ルールが存在せず慣習で行われていると書いている。欠けているのは概念ではなく、場面をまたいで接続する一般ルールだった。082026-08-20構造から診る死をめぐる会話は、誰が引き受けているのか医療心理学・生命倫理・医療コミュニケーションが同じ場面に集まり、三分野とも臨床家個人に技術を手渡す。その技術の来歴を辿ると、SPIKESの原著は自らを「経験的データから完全には導かれていない」と書き、Kübler-Rossの原典は段階が順に進むという理解を否定していた。日本の法令には、事前指示も尊厳死も終末期も延命措置も条文に一語もない。ただし制度が何も定めていないわけではない。国は終末期の決定を専用法ではなく、多職種チームによる反復的な対話に委ねている。具体化されていないのは、その対話を誰がいつ開始し、どの資源で支えるかである。092026-08-20構造から診る孤立への処方箋は、なぜ何度も書き直されるのか診る側の苦痛に、70年間ずっと処方が出され続けてきた。1957年のバリント群、1981年の測定尺度、2016年の「組織の問題である」という所見、2024年の労働時間の上限。だが同じ病気に処方が変わったのではない。医師患者関係、燃え尽き、組織環境、労働時間と、切り出すレンズが組み替えられてきた。MBIには妥当性検証済みの閾値が無く、日本の一標本でも定義次第で17.1%と64.6%に分かれる。ただし測れないのではない。得点は測れる。境界が定まっていないだけである。問題は測定器の不在ではなく、医師のwell-beingを一つの指標に畳み込めないことだった。102026-08-21構造から診る個人への単独帰属は、なぜ繰り返し成立しないのか九本を書き終えて読み直したら、当初の背骨が二か所ずれていた。第一に、個人への帰属を崩していたのは四つの分野の主張ではなく、測定上の事実だった——職域健診がある層ではヘルスリテラシーと受診の関連が弱まり、全国の保健指導は割当ての効果で1年に0.29kg、意思決定能力はappreciation下位尺度の正常率が尺度によって48.7%から94.6%まで変わる。第二に、その反対は「構造に帰す」ではなく、観測したものから推論したいものへの橋が無いことだった。個人について測った値だけから、問題の原因を個人に帰すことはできない。