YONAPO

03

総合診療という領域

専門医制度、学術基盤、研究デザイン——総合診療が一つの領域として成立しているかを検証する

2026-08-22測る道具の点検専門科の境界は、何が引いたのか内科や外科は一見どこの国でも同じものを指すように見えるのに、総合診療だけが定まらない。なぜか。「道具が科を作った」という仮説を立て、文献で検証した。結果はそのままの形では成り立たなかった。医学史は1940年代以降この説を退けており、年表も逆を向いている——1839年のパリの専門誌には検眼鏡の12年前に「目の病気」が載っている。1862年の書評子は喉頭鏡について「専門科にする話ではない」と書いた。ただし「道具は科を作らなかった」も言いすぎで、道具はしばしば境界の軸や正当化として働いていた。分類が対象を作り、技術が実践可能性と正当化を与え、職業集団が管轄を要求し、制度が境界を固定する。2026-08-22測る道具の点検総合診療医は、世界でどう数えられているのか前回、日本の法令に総合診療科という診療科名が無いことを見た。ではOECDには何を報告しているのか。答えは「報告していない」だった。定義文書の日本欄は「Data not available… In Japan, physicians are not separated into GPs and specialists」の二文で終わり、実際に報告されているのは小児科・産婦人科・精神科の三つだけである。2015年以降このデータフローに提出のあった54の国・地域のうち、Generalist medical practitioners が全期間空欄なのは日本だけだった。ただし他国の欄も「正しい人数」ではない。英国のGP数には四つの公式値があるが、違いは精度ではなく母集団である——登録資格・免許・実働・雇用。日本に欠けているのは名簿ではなく、対応表である。2026-08-21測る道具の点検名前が無いものは、どう数えられているのか指標監査の優先順位表で二位だった標榜科を点検した。医療法施行令第三条の二を全文検索すると、総合診療も家庭医療も老年科も一度も現れない。組み合わせ方式の四区分は部位・年齢性別・処置・疾患で、「総合」はそのどれでもないため、この生成規則からは名称を作れない。だが国は受け皿を用意していた——医師届出票の「42 全科」である。資格欄で総合診療専門医を選んだ1,046人がそこに何と書いたかを集計すると、内科612人に対し全科は29人だった。名前が無いのではない。専門医資格・院内部門・広告可能な診療科名・主たる診療科統計で、その名前の扱いが一致していない。2026-08-21測る道具の点検何を測るかは、決められるのか前回の宿題を調べた。合意は作れる。関節リウマチでは1992年に作られ、別の領域では欧州医薬品庁のガイドラインが core outcome sets の使用を推奨するところまで行った。だが手続きを満たしても、唯一正しい項目集合が得られるわけではない——報告基準が自ら「どのCOSを使うべきかを区別するものではない」と書いている。評価尺度を5段階から9段階に変えるだけで、最終会議に送られる候補が24から11に変わる。合意は作れる。しかしその結果は、適用範囲と参加者と質問形式と実装負担に依存し、合意しただけでは妥当性も普及も保証されない。2026-08-21測る道具の点検地域を分母にする、と言うとき、何が分母になっているのかこの列の目的は、何を測るかの合意を作り、それを土台に調査を広げることにある。その前に、日本が既にやってきたことを見た。大迫町の1997年の健診コホートは、町の人口7,318人、健診の適格者2,719人、受診者1,831人、同意者1,622人という段階を経ている。適格者の定義は農業者・自営業者・年金受給者・被扶養者だった。地域の健康状態は、一つの完全な母集団からではなく、住民台帳・保険者・健診参加者・医療機関受診者という異なる抽出枠を通して観測されている。そして受診件数と受診者数が、同じ量としてプールされている。2026-08-21構造から診る個人への単独帰属は、なぜ繰り返し成立しないのか九本を書き終えて読み直したら、当初の背骨が二か所ずれていた。第一に、個人への帰属を崩していたのは四つの分野の主張ではなく、測定上の事実だった——職域健診がある層ではヘルスリテラシーと受診の関連が弱まり、全国の保健指導は割当ての効果で1年に0.29kg、意思決定能力はappreciation下位尺度の正常率が尺度によって48.7%から94.6%まで変わる。第二に、その反対は「構造に帰す」ではなく、観測したものから推論したいものへの橋が無いことだった。個人について測った値だけから、問題の原因を個人に帰すことはできない。2026-08-19構造から診る継続性は、誰について測られているのか継続性は総合診療の中心概念で、死亡率との関連まで報告されている。だが大規模データで頻用されるCOCやFCIは受診履歴から作られ、受診が1回の人では数学的に定義できない。日本の研究を追うと、対象者は年4回以上の受診者、多疾患併存者、かかりつけを持つ人と、それぞれ別の条件で切り取られていた。全国調査の一本は、かかりつけが無いと答えた47%に設問自体を配っていない。一方、2025年に始まったかかりつけ医機能報告制度が測るのは患者が経験した継続性ではなく、医療機関側の提供能力である。誰について、何を継続性として測っているのかを確かめる。2026-08-18総合診療の研究デザインは、本当に未確立なのか前の記事で「検証として設計できる人が足りない」と書いた。だが調べると、日本専門医機構の整備基準は量的研究と質的研究の双方を到達目標に明記している。研究法そのものは存在する。足りないのは、その方法を信頼できる形で実装できる研究基盤の方だった。島根の数字を47都道府県8年分のデータで自分で組み直すと、単純な率比の分散の8割が介入前のわずか8件から来ていた。モデルは書ける。だがモデルを書けることと、識別に足るデータが存在することは別である。2026-08-18島根モデルは、再現できるのか前の記事で宿題を残した。島根で何が効いたのか、他県で再現できるのか。日本専門医機構の年次報告を8年分突き合わせると、論文の掲げる採用率15.8%は単年の値で、8年をプールした値は11.4%だった。さらに大学のプレスリリースには論文にない列がある——42名中17名が地域枠等。国際論文と国内向け資料を照合すると、ネットワークとは別の要素が見えてくる。採用増は検算できるが、その原因は一つに特定できない。一方、同じ発想で別の軸を畳んだ福井は、設計を残したまま2026年度の採用が0になっている。2026-08-18救急医学は、なぜ標榜科になれたのか救急医も総合診療医も、臓器を問わず未分化な訴えを引き受ける。それなのに救急の学問性が問われることは少ない。だが調べると、救急は1983年に「医師は誰でも急患を診療する立場にある」という理由で標榜科を拒まれ、25年待って2008年に勝ち取っていた。その2週間前に「総合科」は葬られている。両者を分けたものは何だったのか——そして「場を持つこと」は、本当に学問を与えたのか。2026-08-18総合診療に、学問の基盤はあるのか前の記事で「学問の確立こそ最優先ではないか」と書いた。ただしそれは未検証の直感だった。学会も学術誌もあり、会員数は救急医学会を上回る。しかし科研費の審査区分表に総合診療という枠は存在せず、文科省の最新方針に「講座」の二文字は一度も現れない。大学の総合診療部門が研究に割く労力は15.6%、その研究の0.7%しかプライマリ・ケアではない。基盤がないのではなく、基盤が一点に集まっていない——その構造を、一次資料と国際比較から検証する。2026-08-18総合診療専門医は、増えているのか2018年、総合診療は19番目の基本領域として制度化された。それから8年、専攻医数は全体の3%前後で推移し、2026年度は2021年度以来の減少になった。専門医937人の内訳、志望する医学生14.6%との隔たり、期限を超過した標榜科の議論、そして米国家庭医療が1960年代に経験した募集難との重なりから、この制度の現在地を検証する。2026-08-16総合診療医を目指す理由——構造を辿ること、そばにいること医師のいない家庭に生まれ、なぜ自分が医師を、それも総合診療医を志すようになったのか。幼少期の記憶、中高時代のある行動パターン、医学部受験の面接で初めて向き合った問い、そしてハンガリーでの医療現場との出会いから、その道のりを辿る。