2026-09-02測る道具の点検五十九年かけて、条文になった一語この列は十二本にわたって「測られていない」を書いてきた。反例を一つ見つけた。医療法第15条の2である。検体検査には精度の確保が法律上の義務として書かれている。だが条文を読むと、義務になったのは責任者・標準作業書・作業日誌・台帳という手続の層で、外部精度管理調査の受検は努力義務だった。施行通知は理由まで書いている——「地域医療への影響等を勘案し、まずは努力義務としたところである」。そこに至るまでの経路を辿ると、五つの層が順に現れる。法令化後、その手続遵守は立入検査で追跡され、適合率は91.5%から96.0%で推移している。だが実際の測定誤差が法改正前後でどう変わったかを追う全国的な系列は、今回確認できた公開資料には無かった。2026-08-31測る道具の点検確実に行けるという事実2006年、在宅療養支援診療所が作られた。中医協で「本当に実効が上がるのか」と問われた厚生労働省は、従来の24時間行ける体制とは違う、今度は実際に行くことを前提としている、確実に行けるという事実を担保としたい、と答えた。国はその担保の仕方を後から見つけている——2012年の機能強化型には常勤医師3名以上と、緊急往診・在宅看取りの件数要件がある。だがそれが置かれたのは届出の29%で、残る71%を占める従来型には医師数の下限も件数の下限も無い。そして2026年6月1日、その71%からも毎年集めていた年1回の在宅看取り数の報告が、業務の簡素化を図る観点から削除された。もっとも件数は活動量であって、要請に何割応じられたかではない。履行を測る仕組みは、どちらの層にも置かれていない。2026-08-31測る道具の点検その推計は、いつの受療率でできているのか2027年度以降の医学部定員が議論されている。その需給面の基礎資料として今も参照されているのは、2020年8月公表の医師需給推計である。三つのケースの骨格を分けているのは医師が週に何時間働くべきかという問いで、需要側の入口は地域医療構想の必要病床数(パターンC)。同じ必要病床数が医師需給推計と看護職員需給推計の双方へ渡っている。2025年10月、厚生労働省は現状投影と実績を並べた図を出した——2025年の推計121.6に対し、実績系列の最新点である2024年は95.7。二本の系列は反対を向いている。外れたことより、外れたかどうかを誰が調べるのかが問題である。2026-08-29測る道具の点検「できている」とは、誰が言ったのか地域包括ケアシステムは2025年を目途に構築するとされてきた。その2025年を過ぎた2026年6月、参議院で「どの程度整備されたのか」と正面から問われた老健局長の答弁で示された唯一の量的根拠は、地域包括支援センターの箇所数だった。第10期基本指針では、地域包括ケアに関する当該一文から「二千二十五年(令和七年)を見据え、」だけが削られている。評価そのものは大量に行われている。だが、それを「構築できたのか」という一つの問いに集約する全国共通の判定基準は、確認できなかった。1,741の市町村は毎年800点満点で採点されており、その800点のうち420点、52.5%は「全保険者の上位何割か」という順位で決まる。連携は測られているが、満足・患者の経験・QOL・継続性は評価指標42頁に一度も現れない。2026-08-27測る道具の点検近さは、何から決められてきたのか前回、9か国18件の地理的アクセス閾値を辿って、患者のアウトカムから引かれたものが一つも無かったと書いた。だがそれは、アクセスの指標ばかりを選んで見たからかもしれない。そこで対照例を同じ熱心さで探した。一件あった——rt-PAの4.5時間は、2004年の統合解析が181〜270分の区間を示し、2008年のECASS IIIがその窓の中の治療効果を前向きに確認したうえで制度に入っている。ところが同じ「分」で書かれていても、door-to-needleの60分は1997年に「恣意的」と自認されて作られ、緊急帝王切開の30分は病院がそれを実行できるかを調べたデータから来ていた。そして分かれ目は、時間か距離かではなかった。韓国が病院までの移動時間をアウトカムから推定すると、病態ごとに31分から80分まで分かれる。制度化には、連続的な知見を有限個の規則へ圧縮する必要がある。その段階で入ってくるものを、12か国35件で辿った。2026-08-27測る道具の点検その地区が消えたのは、医者が来たからか、人がいなくなったからか無医地区の数は昭和59年から一度も増えず、令和7年に初めて増えた。だが数の増減より、増減の理由のほうが重要だった。厚労省が令和元年度から公表している内訳表を開くと、無医地区と準無医地区を合わせて減った109地区のうち「医療機関ができた」は2地区、「人口が50人未満になった」は35地区、そして理由の書かれていない「その他」が36地区である。医療が届いたことと、住民が50人を割ったことが、同じ「地区数の減少」として集計されている。しかもこの内訳は合算でしか公表されておらず、無医地区単独の増減理由は、国が地区名つきで持っているのに公表されていない。4kmと50人という線の来歴は、国の研究班自身が「未見である」と書いている。2026-08-27英国のゲートキーピングは、設計されたのか日本にゲートキーピングが無い理由を辿った回の、裏返しである。英国はなぜ登録制とゲートキーピングを持つのか。1948年のNHS創設に答えがあると思って調べたら、患者一覧も医師選択権も、その37年前の1911年国民保険法15条2項に明文であった。1946年法33条はそれを「利用したいすべての人」の一般医療制度として書き直している。紹介の階層を正面から設計した文書は1920年に実在するが、その通りには実装されていない。英国医師会が1948年に勝ち取ったのは患者の受診先の制限ではなく、医師の独立自営だった。単一の設計図は無かったが、部品は偶然でもなかった。2026-08-25医療DXは、測定インフラの欠如を埋めるのかこの列は何度も同じ空白に当たった。施設別の治療アウトカムが公開されていない。国はいま、その空白を埋めると言っている。だから仕様書を読んだ。技術解説書217頁に「二次利用」は0回、「施設別」は0回。退院時転帰を運ぶ退院時サマリーは、送付機能の「実装を任意とします」と書かれている。一方で二次利用ワーキンググループは、空白を私よりも正確に名指ししていた。医療DXは収集と連結の層を埋め始めている。埋まっていないのは、何を施設の成果として測り、どう公表するかという層である。2026-08-20構造から診る孤立への処方箋は、なぜ何度も書き直されるのか診る側の苦痛に、70年間ずっと処方が出され続けてきた。1957年のバリント群、1981年の測定尺度、2016年の「組織の問題である」という所見、2024年の労働時間の上限。だが同じ病気に処方が変わったのではない。医師患者関係、燃え尽き、組織環境、労働時間と、切り出すレンズが組み替えられてきた。MBIには妥当性検証済みの閾値が無く、日本の一標本でも定義次第で17.1%と64.6%に分かれる。ただし測れないのではない。得点は測れる。境界が定まっていないだけである。問題は測定器の不在ではなく、医師のwell-beingを一つの指標に畳み込めないことだった。2026-08-20構造から診る死をめぐる会話は、誰が引き受けているのか医療心理学・生命倫理・医療コミュニケーションが同じ場面に集まり、三分野とも臨床家個人に技術を手渡す。その技術の来歴を辿ると、SPIKESの原著は自らを「経験的データから完全には導かれていない」と書き、Kübler-Rossの原典は段階が順に進むという理解を否定していた。日本の法令には、事前指示も尊厳死も終末期も延命措置も条文に一語もない。ただし制度が何も定めていないわけではない。国は終末期の決定を専用法ではなく、多職種チームによる反復的な対話に委ねている。具体化されていないのは、その対話を誰がいつ開始し、どの資源で支えるかである。2026-08-20測る道具の点検閾値は、どこから来たのか腹囲85cm、血圧130/80、HbA1c 6.5%、HDS-R 20点、MoCA 26点。この線の一方の側にいるか他方の側にいるかで、次の行動と分類が変わる。五つを原典まで辿ると、来歴が五つとも違った。腹囲の導出は三文で根拠図に「投稿準備中」と付され、血圧の80はガイドライン内部の整合性から、HbA1cの線は「国際基準に合わせる」ために採られ、その国際基準の最大の構成要素は日本のデータだった。対比としてアウトカムから引かれた線を二つ置く。訊くべきは「分布かアウトカムか」ではなく、その線が何を目的変数にし、どの損失を最小化し、どんな実装上の理由で調整されたのか、である。2026-08-20構造から診る分かりにくいのは、誰の問題かヘルスリテラシーが低い人は平均して2人に1人だという。その数字の出所を辿ったら、欧州調査で満点の約3分の2として規約的に置かれた境界だった。同じ8000人に別の尺度を当てると全体の率はほぼ変わらないのに国の順位は入れ替わり、日本の全国標本で使われている尺度にはそもそも境界が無い。「何%が低いか」には、尺度と下位概念と調査方法と閾値によって違う答えが出る。だとすれば個人を低群と高群に選別するより、全員に対して情報負荷を下げ、理解を確認する設計のほうが合理的である。2026-08-19構造から診る本人が決められないとき、誰が決めるのか意思決定能力を法的な competence と臨床的な capacity に分ける説明を採ろうとして、原典を読むとその区別は普遍的ではなかった。代わりに見えてきたのは、日本の制度の分断である。認知症支援にはAppelbaum型の四要素があり、後見事務にはMCA型の四要素がある。一方、一般医療では「本人の意思を確認できない場合」の後の手順は示されても、その前段階を全国共通に判定する法定テストはない。研究や精神科入院には個別の代諾ルールがある。政府自身が2019年の通知で、第三者の医療同意には法令上の一般ルールが存在せず慣習で行われていると書いている。欠けているのは概念ではなく、場面をまたいで接続する一般ルールだった。2026-08-19構造から診る説明のつかない症状は、誰が診るのか医学的説明がつかないこと自体は、DSM-5以降、精神疾患の診断根拠ではなくなった。一方、持続する身体症状に心理的介入が無効なわけでもない。既存の診療に6時間の研修を足した介入は患者の生活の質をむしろ下げ、研修・監督・構造化された説明・長い診察枠を一体にした専用サービスは改善を示した。問われているのは身体科か精神科かという所属ではなく、紹介した後も誰が問題を引き受け続けるかである。日本には心療内科も心身医学療法も傷病名コードもある。ただしそれらは、現代の症状概念と一対一に対応していない。2026-08-19構造から診る説得は、どれだけ効くのか「正したい反射に抵抗せよ」は、助言をするなという意味ではなかった。禁煙の短時間助言には小さいが確実な絶対効果があり、動機づけ面接にも平均としての優位性がある。一方、日本が年間519万人を対象に行っている特定保健指導は、回帰不連続デザインで割り当て効果が1年後−0.29kg、実際に指導を受けた人では−1.56kgと推定された。それでも血圧もHbA1cもLDLも改善しない。「説得は効くか」ではなく、介入そのものの効果と、それが対象者に届く仕組みを分けて考える。2026-08-19構造から診るかかりつけは、なぜ失われるのかかかりつけが無ければ継続性は始まりにくい。ただし、かかりつけを持つことと第一接触は同じではない。2021年の全国調査では20〜75歳の57.5%が普段頼る医師を持ち、慢性疾患のある人ほど保有率が高かった。さらに、かかりつけを持つ40〜75歳を12か月追うと12.8%が失っていた。高い縦断性・包括性・地域志向性を経験していた人ほど、その後の喪失が少ない。問うべきは一時点の保有率だけでなく、誰が医療との接続を得て、誰が失うのかである。2026-08-19構造から診る受診しない人は、どれだけいるのか日本では通院者率409.2が有訴者率255.7を上回る。しかしこれは「症状の大半は医療に持ち込まれない」という症状の氷山と矛盾しない。無症候性の慢性疾患管理が通院者を積み上げるからである。では病気やケガがあっても受診しない人は何%か。全国標本調査でも、広く尋ねれば2022年JGSSで24.2%、費用に限定すれば2023年調査で3.6%。未受診者が数えられていないのではない。何を「未受診」と数えるかが、まだ一つではない。2026-08-18医療と介護は、分けない方がよいのかハンガリーの病棟では医療と生活支援が同居していた。統合すれば柔軟で、費用も抑えられるのではないか——167文献を検討したレビューが支持したのは患者満足度・アクセス・知覚された質で、費用については「不一致または限定的」だった。さらに調べると、日本もハンガリーも「統合/分離」の一語では表せない。日本は医療保険と介護保険を分けながら地域で束ね、ハンガリーも医療系と社会ケア系の長期ケアを別制度で持つ。問うべきは境界の有無ではなく、境界を越えて情報・責任・ケアがつながっているかだった。2026-08-18老年科は、なぜ標榜できないのかこの夏、ハンガリーの病院で実習した。配属先は老人科だった。日本の病院でその看板を見たことがない、と思ったところから調べ始めた。ハンガリーでは老年医学は医学部から直接入れる58か月の基本専門科で、包括的高齢者評価100例が法令で必修になっている。日本にも老年科専門医という資格はある。ただし「老年科」は単独の診療科名としては広告できない。違いは老年医学があるかないかではなく、高齢者を横断的に診る専門性を医療システムのどの階層に置くかにある。2026-08-15前提を疑う日本にゲートキーピングが存在しないのは、なぜか英国やオランダと異なり、日本の国民皆保険制度は患者がどの医療機関にも紹介状なしでアクセスできるフリーアクセス design を採用している。この設計は1961年の皆保険達成時に意図的に選ばれたものというより、日本医師会の政治力・診療報酬による費用抑制という別の選択・医局制度による専門医偏重の医療文化が積み重なって定着したものだった。そしてこの60年来の settlement は、2025年の財務省提案という形で、今まさに再び争点になっている。2026-08-15前提を疑う医師偏在指標は、何を測れていないのか医師偏在指標は失敗した指標ではない。患者側の年齢構成も、受療率も、患者の流出入も、医師の性年齢別労働時間も補正した、人口当たり医師数よりずっと精緻な指標である。だが医療アクセスそのものを測る指標ではない。そして2026年、厚生労働省が出した答えは、一つの指標を万能にすることではなかった——医師偏在指標は医師供給の相対差を測るものとして残し、へき地尺度という別の指標を重ねて医師少数区域を決める。制度自身が「単独の指標では足りない」に到達した。「前提を疑う」シリーズ第11回。2026-08-15前提を疑うフリーアクセス=非効率、という前提を検証する受診回数の多さだけを根拠に日本のフリーアクセスを「非効率」と断定することはできない。ただしACSCは質とアクセスの指標であって効率性の指標ではないので、逆に「だから効率的だ」とも言えない。ACSC研究は一次医療へのアクセスや継続性が回避可能入院と関連することを示す一方、病床供給も入院率を左右する。2026年のOECDレビューでも、ゲートキーピングは専門医の需要を減らすが、その影響は mixed で文脈依存だった。問うべきは制度のラベルではなく、日本の多い受診のうち何が高価値で、何が代替可能なのかである。「前提を疑う」シリーズ第4回。2026-08-15前提を疑う専門医偏重は、本当に多疾患併存ケアに非効率なのか総合診療の必要性を支える中心的な因果推論だが、総論自身が「国際知見の輸入であり日本国内の実証研究は見つからなかった」と認めていた前提を検証する。国際文献では「専門医偏重」自体を直接検証した研究は少なく、より頑健な説明変数は継続性(continuity)と分断(fragmentation)であることが分かった。日本では233万人規模の全国データがまさにこの検証に迫っているが、国内の学会誌自身が数年前まで該当する日本語原著論文がゼロだったと認めている。「前提を疑う」シリーズ第3回。2026-08-14医療制度の持続可能性に、地域医療はどう応えられるか高齢化・医療費増大・医師偏在という複合的圧力の中で、日本の医療制度の持続可能性を総論として整理する。ここで見えてくるのは、単純な医師不足でも高齢化でもなく、限られた人材をどの地域・どの機能・どの診療場面へ配分するかという配分と連携の問題である。地域医療構想、かかりつけ医機能、総合診療、地域包括ケアは、いずれもその配分を変えようとする異なる制度的アプローチにあたる。ただしそれらが医療費を抑え、質を保ち、持続可能性を実際に改善するかは、それぞれ別に検証する必要がある。以降の各論はその検証である。